一生懸命、介護されている方へ。

くらし

私は、行政書士になる以前、ながく施設相談員や介護支援専門員(ケアマネ)として、自宅で介護する方からご相談を受けてきました。行政書士になってからもそのような機会があり、先日も、外国語講師としてご活躍されているご長女から、お母様の介護に関するご相談がありました(以下、プライバシーへの配慮から、詳細は変更しております)。

お母様が、ご長女との散歩中に転倒して、足の大転子部(つけ根)を骨折してしまったとのことで、今後は施設への入所を検討したいが、誰に相談すればいいだろうか、という内容でした。

ご長女は以前から、他県で一人すまいをしていたお母様を、現地のケアマネジャーさんなどと連絡をとりながらサポートされていたそうです。しかし、認知症の進行に伴いボヤ騒ぎがおきたことをきっかけに、ご長女の家へ引き取られたとのことでした。いつまでもご長女の家で暮らせるようにと、しぶるお母様を説得し、忙しい時間をやりくりして、散歩の時間を作るようにしていた矢先のことでした。

お茶のみ話のついでというような、明るい表情で始まったご相談でした。しかし、引き取る際に妹様から猛反対をされ、関係がこじれたままで他のご家族のご協力を得られないことに話が及ぶと、話が詰まり、声が震え始めてしまいました。さらに、転倒が目の前で起きたことを伺った時点では、涙が止まらなくなってしまいました。そして、お母様の施設入所を検討しなければならなくなったのは、全てご長女の責任であるというのです。ご長女は、本当はお母様を施設へ入居させたくなかったのです。

深刻な悩みに対して、一般論で語るのは適切でないかもしれませんが、在宅介護をされている方から、同じようなお話を伺うことは、珍しいことではありません。介護に熱心な方ほど、重すぎる責任を感じて辛い思いをされていることが多く、良くないことが起きたときに、自責の思いで絶望してしまうのです。

介護に熱心な方が持つ共通の感情は、「罪悪感」ではないか、と思います。決して「満足感」ではありません。一生懸命介護すればする人ほど、本当にその選択が正しいのか迷い、選択した後も、もっと良い方法があったのではないかと悔やみ、常に罪悪感に苛まれるのです。

例えば、この方の場合、付き添っていたにもかかわらず、転倒させてお母様に痛い思いをさせてしまったことに対し、深い罪悪感を持っています。自宅で長く生活できるよう、筋力強化のため散歩に誘い出したことに、罪悪感を持っています。妹様の反対にもかかわらず呼び寄せとことに、罪悪感を持っています。お母様が、住み慣れたご実家を離れざるを得なくなったことに、罪悪感を持っています。そしてさらに、施設への入所により自分が介護しないことに対して、罪悪感を持っています。つまり、これまで一生懸命介護してきたこと自体が、深い罪悪感の原因となっているのです。

しかし、看護師や介護福祉士などが付き添っていても、転倒による骨折を生じさせてしまうことはあります。それも残念なことに、少ないことではありません。また、医療保険や介護保険でできるリハビリには、報酬制度から生じる時間の限界があります。筋力強化や認知症予防のために、日常生活をつうじたご家族のご協力が得られなければ、徐々に状態が悪化していくだけだったでしょう。さらに、介護に携わった方でなければ、認知症の方と新たに同居を始めることが、どれだけ勇気と忍耐を必要とするか実感できません。そもそも、ご長女が呼び寄せなければ、娘さんとの時間を持つこともなく、その時点で施設に入所せざるを得なかったはずです。

介護しているとき、どの選択が幸せにつながるかは、まったく分かりません。幸せにつながる可能性は分かるかもしれませんが、それが実際に良い結果に結びつくかは、分からないのです。例えば、お母様がいい介護が受けられるように、一生懸命に評判のいい有料老人ホームを探して入居させてあげたのに、結局転倒による脳挫傷で亡くなってしまった例を、私は知っています。どの選択が正解かは、選択するときには、まったく分からないと言わざるをえません。

介護している方にできることは、介護される方の穏やかな生活を約束してあげることではありません。そのようなことは、誰にもできません。できるのは、穏やかな生活が確保できるように、一生懸命に考えて、判断することだけです。だから、一生懸命に悩んで判断した後は、もう悩んだり悔やんだりしないことです。

仮に、残念な結果が生じてしまったとしても、ご自分がしてきたことに罪悪感を持つ理由は、何もありません。静かに、結果を悲しみ、受け入れるだけです。それにもかかわらず、このような罪悪感を持つのは、あなたが誰かのために、一生懸命介護しようとしたからです。そしてこの感情は、介護に携わった人であれば誰もが持つ、というものではありません。つまり、罪悪感は、一生懸命介護したという、一つの証なのです。

罪悪感を拭い去ることは、おそらく難しいことでしょう。しかし、それは一生懸命に介護してきたということ。ご自分を責めすぎるのは、お止めください。

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