法定後見人制度への質問③ 手術に同意できないの?

くらし

 包括支援センターのご厚意でケアマネジャーさんに向けた成年後見制度の講習をさせていただきました。ケアマネさんからいただいていた質問事項を、いくつかご紹介して解説をしたいと思います。

質問③ 後見人は手術するかしないかの判断ができない、と言われたことがあります。
    緊急の場合は、どうすれば良いのですか。

 家族がいる場合には、本人に代わって家族が同意するけれども、家族がいない場合にはどうすればいいのか、ということですね。避けて通れない、難しい問題です。長くなりますが、基本に立ち返って考えてみたいと思います。

 手術は、体にメスを入れるという点で、身体の生理機能に障害を与えて行われるものですから、本来は傷害罪などに該当する行為です。

 しかし、そのような行為であっても、法令又は正当な業務として行われた場合には、犯罪にはなりません(刑法35条)。医師には医業をすることが認められていますから(医師法第17条)、問題は「正当」か否かという点にあります。
 憲法が定めている日本で最高の価値は、個人の尊厳です。その人の思いが尊重されなければならない場面で、他人が勝手に判断をすることは許されません。民法が後見人に、結婚や離婚の同意見を認めず、遺言の取消権を認めないのは、このためです(民法第738条、764条、962条)。これらを、一身専属権といいます。まして、個人の尊厳と命とは、ほぼ同じといえるほど大切なものですから、本来家族を含めて自分以外の人が、自分を傷害する許可を出すことは認められません。つまり、家族は、そもそも同意できる立場にないのです。
 従って、家族の同意があるから手術できる、同意がないから手術できない、というのは本来おかしな話といえます。つまり、家族の同意の有無は「正当」性に影響しないのが原則なのです。

 では、緊急時など、やむを得ない事情で本人の同意が得られない場合、医師はどうすればいいのでしょうか。このような場合は、医師としてそのときにもっとも適切と思われる医療を提供することが必要と考えられます(医師法第19条、医療法第1条の2)。

 もっとも、家族の同意が「正当」か否かの判断とまった関係がないかといえば、そうだとも言い切れない実情があります。
 今日、本人の意思表示が困難な場合には、家族が代わって同意することは、一般的な慣行として認知されています。本人の同意でなければ意味がないからと、家族への説明もないようでは、むしろその方に違和感があるでしょう。小さな子供への手術などの場合には、違和感しかないかもしれません。
 医師の手術が法的に正当と認められるのは、その行為が社会的相当性を持ち、社会秩序を乱さないからです。そうだとするならば、本来同意する立場にない家族が本人に代わって手術に同意することが、無意味であるとも言い切れなくなります。 

 このように、手術における本人以外の「同意」の法的意味は、実は議論の決着がつけられておらず、グレーゾーンなのです。

 そこで、多くの病院においては、厚生労働省のガイドラインなどを参考に、病院内で診療方針ないし診療ガイドラインなどを作成し、それに従って治療を行うことを表示あるいは告知しています。予めこのような方針があれば、医師個人の負担を減らせるとともに医師の独走を防ぐこともでき、治療行為に社会的相当性をもたせることができ易いと考えられるからです。そして、その中で家族の同意を求めることを必要とする指針を作成している場合もあると思います。
 但し、家族がいなければ治療しないなど、法に反するような指針は無効です。

 また、家族の同意を得ておけば、他にも一定の効果が見込める余地があります。例えば手術が失敗した場合、本人の損害賠償請求権(民法709、710条)の他に、家族の慰謝料請求(民法711条)が発生する可能性がありますが、これらの主張を封じる『事実上の』効果が見込めます。

 上記のことを前提とすると、後見人が手術の同意することは本来できない、といえます。しかし、家族の同意が必要とされている実情を考慮すると、後見人の同意に家族の同意と同様の社会的相当性が認められるときがくれば、将来的には後見人にも同意が認められるときが来るかもしれません。実際に、後見人に治療への同意権を認める見解もあります。
 従って、「後見人に治療への同意権はない。」というより、「現在、後見人に治療への同意権は認められていない。」というほうが、より正確な表現といえるかもしれません。そして、現状では、後見人の同意がなくとも、医師にはそのときにもっとも適切と思われる医療を提供する義務があると考えられます。

 蛇足として、一点付け加えます。
 過日、親族が終末医療で入院していた病院の担当医さんから、「延命治療拒否の家族の同意が得られなければ、ターミナル状態でも、本人の気管を切開して人工呼吸器を装着します。医師としては、そうせざるを得ません。」と伝えられました。担当医さんの感覚としては、当然のことを言ったのでしょう。しかし、家族の同意の法的意味から考えた場合、この発言は正しいでしょうか? 検討する余地がありそうです。

 最期に、聖マリアンナ医科大学事件(大ちゃん事件)、エホバの証人輸血拒否事件(東大医科研病院事件)の判例の存在を挙げさせていただきます。個人の尊厳と治療の同意について考える資料としてお調べいただくと良いのではないかと思います。

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